きょうも五月晴れ。
午後からちょこっとツーリングに出てみた。
マンションを出て玄海灘の海岸線へ向け走りだす。
途中、サイクリングターミナル横を過ぎる時に親子二人が乗った「タンデム車」(レンタサイクル)発見!
ゆるい登り坂で、追撃しようとするが、素人とはいえ流石に双発。
なかなか追い付けないw
必死に漕いでなんとか追い越したものの、早くも乳酸が・・・
情けない。
なんてことしているうちに、あっという間に海岸線に出た。
とは言ってもこの辺は、完全に埋立地。
そういえば車の免許とった次の日から、ここで4トンダンプを運転してたっけw
気持ちよく旧湾岸道路の歩道を走り、若松の市街地へ向かう。
若松高校付近の坂道からは「
若戸大橋」が見え隠れして、サンフランシスコみたい。
若松市街から
高塔山に向かう。
登り始めの勾配が半端じゃなくて、「このまま行ったら死ぬ!」とまで思ったが、途中から緩やかになり一安心。
どうやらこうやら山頂の展望台まで登り着いた。
ここからは若戸大橋と若松と洞海湾を挟んだ戸畑の町が一望できる。
一休みして、隣の
石峰山へ向かう。
この山に登るのは15年ぶりくらいかな?
ずっと「
押し」だった記憶しかなかったが、押しはあるものの、記憶ほどのことは無かった。
むしろ、ゆるいアップダウンが続く幅の広い登山道が気持ち良かった。
山頂に着くと、おじいさん(75歳)が腰掛けられていたので声を掛けてみた。
おじさんから「あんた大学生かい?」と聞かれ「いえいえ40過ぎてますよ!」と答えると「そうじゃろう。その腹はどうみても・・・」と笑われてしまった。
それから、昔この山にあった砲台の話しや空襲の話しで30分くらい盛りあがった。
実際に戦争を体験した人の話しを直に聞くと、北九州も何度も戦火にさらされたのだとわかる。
最近はネットでも戦時中の話しをよく見かけるが、一方的に日本が悪いという「
歪んだ歴史観」の教育を受けてきた自分たちの世代にとって、その内容は、ある意味「
ショック」である。
戦後60年経ってようやく
重い口が開かれたという感じ。
戦後生まれの「
従軍慰安婦」や年々増えつづける「
南京大虐殺」の人数など、どんどん明るみに出る矛盾に「
真実はどうだったのか?」と考えさせられずにはいられない。
謝罪だ反省だと狂ったように捲くし立てる、読んだこともない他国の歴史教科書にイチャモンつけている、三国人に「お前らが戦後のどさくさに紛れて日本人にやったことに対しての謝罪はどうなんだ?」と、小一時間問い詰めてやりたい気分だ。
ああ、なんだか自転車の話しからは程遠い話しになっちゃいましたね。
でも、今、平和な日本でこうやって自転車乗って遊んでいられるのは戦争で亡くなった多くの方々の尊い犠牲の上にあることだけは忘れたくないです。